
| その端正な造形、精緻な細工の見事さはこれが食物であることを忘れさせる。 もてなしの場、言祝ぎの場で、花の姿をとった創作菓子は五感すべての喜びへと人をいざない、生命の輝きへのしるべとなる。 |
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創作菓子の歴史は意外に新しい。 「練りきり」「こなし」といった柔らかい素材を用いるようになったのは明治時代という。 それ以前には、砂糖を型にはめて固める落雁が茶席に供された。 もっと昔、茶の湯発祥の頃には、水菓子(果物)以外の甘味は容易にてに入らなかったと思われる。 そもそも、初期の茶席において甘味はどれほど重要な要素であったのだろうか。
良い水で点てられた抹茶には、身が清浄に洗われていくような清涼感がある。 味や香りにもまして、茶の葉の精気そのものが染みこんでくるような独自の感覚。 近頃はやりのハーブ同様、植物の力のなせるわざである。
茶の湯の空間設定・・・方角の狭い茶室、そこに至る庭のしつらい、床の間の掛軸、目を楽しませる道具や器・・・は、五感のすべてをこの鮮烈な清涼感へと高め、際だたせる装置であるとも言える。 そこに欠かせないものとして花がある。 活けられた花にはどんな想いが託されるのだろうか。
人は、忘れ得ぬ感動の瞬間に永遠を見る。 その印象を焼き付けるべく、時は止められなければならない。 悟りの境地も、快楽の幻影も、流れ過ぎることをやめた時間の空間の中に訪れる。 根を絶たれた生花は、死までの限られた時間を凝縮し、緊迫した生命力のみなぎる時へと変質させる。 活け花のある茶室には濃密な生の輝きと死のはかなさがせめぎあい、人は時を止めるだろう。 常に死と向かい合わせだった戦国武将が、このようなパッションに魅せられたであろうことは容易に想像できる。

一方、現代の喫茶の意味は、だいぶ趣を異にする。 花瓶の花を見てそこまでのパトスを感じ取る人は少数派だろう。 茶を楽しむ目的も、安らぎや憩いであって、非日常の緊張感を求めているわけではない。 この喫茶空間には、甘いものが似合う
甘味は、悲しみや不安、疲労感から人を救ってくれる。 もてなしの演出として、季節感あふれる花の意匠が華やかにほどこされ、目をも喜ばせる。 だが、花の姿をした菓子のシンボリズムは、どこかで時を止める装置として生花とつながっているようにも思える。 菓子職人による単純化や抽象化を経て、見事にデザインされたその形のうちに、花の本質はむしろ鮮明に立ち現れる。 それは、永遠に再生し続ける生命の圧倒的な力に触れた私たちの喜びである。 なぜ人は植物の芽吹きをうれしく思うのか。なぜ花を慈しむのか。その答えが、ここにある。